こんじん様の今日のみ言葉

令和二年
二月十二日のお言葉

信じる者のみ道を知る。かつて現れ出でたる神よ 教祖よ 救世主といわれしものよ どの道を示したか?今一度振り返れ?みずからの子供 子孫がかわいいか ならば世の末 末法は鎌倉仏教にあらず これから目にするであろう 天変地異 地獄絵図 火の大洗礼は 真光で解くだけではない。皆は口にはしないでも、きづくひとが増えておる。どうしようとまよい 解決望むとも われよし つよいものがちの今のうつしよ 現代はいかにしてのこるのかは神 宗教に示しなし 信じる神は神におぼれよ 多神教の今の二ホン かつてひのもとといわれども。いまは衆愚のたまり よどみの くもりの世 きっぱり エゴをすてる道 未知なるがゆえに みちといわれる。じぶんで拓けとみなは言うも 迷うのならば こんじん信じよ 鬼と たたり神と さげすまれとも いまの今までこの世にいきておる。存在あればこそなり。これ霊験あらたかなる証拠なり、迷うな 迷うな 信じる道はいまここにあり。拝


七月七日のお言葉

いま神はあらわれん。どの宗教もいいました。無病化とてかざしで 神の子には病なしというお取次ぎもおられた いつしか神とあがめられ大宗教と成長した。ひとはみんなにひかりを受けることができない。じじつ じじつ なぜなのか 貧富 病気の早死に 仏は輪廻をとく 後生の解決と このあとの生まれ変わりに菩薩化でみずからのうまれかわりをよきものにおきかえる  よくきけ 愚なるおしえにしたがいて あたまをまるめ お経を解こうとも リンネは必然の仕組みにして じごくの道を知りたる神に頼むべし おそれてこわがる死後の世界 こんじん信じる民には なにもこわくない こわがるすがたはこんじんさまをしらぬ民なり 信じれぬざんねんな民なり こんじんにいのりをあわせないひとのむれ 天に一団体むかう船 沈んではじめてわかるおしえのうすさよ 黄泉のせかいはひかりがないぞよ うつしよの現代でこんじんさまに縁なくばそれはざんねんすくいなし、今ぞ知れ 六六六のミロクの世 あなたは目で真実をみるときがくるだろう あらためて神をしるであろう  そのためのおしえなる これ疑うことなかれ 拝


七月四日のお言葉

ひとはなぜにのろいをくらくかんがえるのか、陰にかんがえるのか?神はこたえていう そのもの そのいらいしゃにいんあるがゆえなり、暗い根があるゆえなり、のろいは祈願の陰の部分か?いやちがう 神にお願いするのである 困窮を 悩みをきいてもらうのである。悲惨な顔や こころのくるしさを神はよみとるのはりかいできるだろう。しかして呪いは陽もある 神のために祈る 神はたとえたたり神であろうとも 信じる人の笑い顔 しあわせをかんじる なみだをふき あしたのみちをおしえ 笑い顔としあわせをあたえて陽をよしとする。さすれば神の子になやみなし やまいなし 無病化ならば 陽にていのるべし。本当のあなたのこころのそこにある暗や影は神はしりたもうなり。おそるることなかれ かみにすべてをまかせることじゃ できぬ芝居はかみのまえではつうようせぬぞよ。六日のつきなみのいのりをわするるなかれ、かみはしっている。だんあつをうけようともこんじんしんこう たたりがみ信仰は世につたわり、現在にいたる。これうたがうことなかれ。 神は一本のみちなればなり  拝

五月十五日のお言葉

何回も神示はあり、あなたに あなたの家族に そして 日本に 世界に めざめよ なんども警告をした神の言葉  なぜ なぜ 日常におわれ 神を身近に感じない 不幸なる神の子よ 自覚せよ 自覚せよ。 初詣では 開運なし、仏の慈悲も 仏しらずのヒトの子には 馬の耳に念仏 意味なし ヒトは自覚してない 神はしぶとく 金神様をつうじて おしえている なんども なんども おしえている。あなたのさとりを あなたのみたまみがきを おしえている。わたしたちは神の子であるがゆえに みなで祈り合わせをゆるされている  のぞみ なやみは 霧のごとく 前見えず  海のごとく ひろく 結末が見えねども こんじんさまは光のかたまり ひかりにつつまれ のぞみ 神徳 人一倍に 浴びる日いつか 五日の いのりがけ 真剣か 否かは すべて神の知るところ 祈り合わせも 神はみている みているからこそ 神の子はそのちからをみずからに知ることができる うたがうことなかれ 拝

五月九日のお言葉

人知れずいのるすがたをこんじんさまはみています。ひびの言葉をこんじんさまはきいています。朝起きて神に感謝する姿をこんじんさまは見ています。天照大御神や 八百万の神はへんげなし こんじんさまは時にアマテラス 時に地獄の閻魔に変化をなす、ゆえに眷属神を九尾の狐としたがえ、民に怒りを救世をほどこす。神事はたいせつな神のいやしであり、会話である。こんじんさまは極限の神なり、至福も最高なれば、いかりも最高である。ときにひとはこんじんさまをうしとらの方向に ひつじさるの方向にとじこめ、鬼門に閉じ込め たたりがみとして 避け さげすんだ。今気づけ あなたは神社 寺院で何をなしたか 真の神に出会えたか? おのれの信じる道はみずからにご神徳をいただけれたか?もちろん神には信仰 奉仕 もろもろのすがたを示す必要あり。初詣でかえりに交通事故をするはなぜか? 鳥居の外にはガキのたまり場。鳥居の中にはいれず、外で帰り道のヒトをまつ。かえりみち 疲れは肉体の疲労のみにあらず 霊のさわりが霧 雲となり まわりにただよう。五月 要注意。日に日にいただく 光と闇を 月日に感謝 太陽神の光をかんしゃのこころでうけいれ、一日をよろこびの中ですごしましょう。 こんじんさまはあなたのすぐそばにおられます。 拝

四月十四日のお言葉

健康は体内の血の巡りのプラス結果である。われわれ神の子はみずからの肉体の主人公である。自覚せよ 自覚せよ 主人公だから体の支配権を持つ、血の巡りは主人公の権限である 血圧よ下がれ 血圧を下がれ 神の子の私は神が得て 使うことのできるすべてのみわざをいやしをつかうことができる神性を開花せよ。自らのこんじんさまにたよることにより、修験者が修験道で得る神授けの不思議な力は得られるものである。御霊をみがく そこに人集まり おしえは広がる。それもまた神の子のつとめであり、神にねがいごとをするささげものである。においがけは信者拡大 無理なく かおりのたれゆくままにまめひとしんじゃはかおりゆく


四月十一日のお言葉

みずからのこころとは、操縦できるものぞ。みずからが肉体に 心身に 不完全な 燃え切らない 満足の得られない不完全な状態を良しとしてはいけない。こころは特に思うがならないのは一番苦しいものである。心の問題が解決すればとかく肉体の問題も解決するものである。まず今いる私は霊であることを自覚せよ。こころからも 肉体からも自由な存在として自覚せよ。わたしたちは神の試作品でもある。そして神の意志により作られた無限の愛と無限の知恵と無限の生命を持っているものなのである。わたしの実態は自由な霊である。自由な霊なる神の子なのです。自由に肉体を使用して、自由にこころをはたらかす。かんながら かんながら かみまかせの人生がいま確かめられる。根底は 信じるか否か ただ 自らの霊は遠津みおやのみたまのはたらきもあり、ご先祖様の色インキに時に染まる。遺伝にあらず あなたの姓はご先祖の今にいでたるあかしの言葉、わが霊とはあなたと因縁のみたまの産物なり。あなたの霊はたくさんの道をもつ、しかして自由なる霊はみたまをみがくことで得られる。善行とは他者にほどこすにあらず、みずからにこやしとなるための修行なり、自由なる御霊これはあなたのちからとなる。災いを突破する自由なる御霊。もっと自由に たしかに自由なるみたまとなろう。みずからの行者の道はいまひらけたり。 拝

四月十日のお言葉

病を治すとは、実相を理解することからはじまる。すべてはこんじんさまのとりきめである。神 霊 一定の法則によってなる。生命の起源はこんじんさまのなしわざによる。わたしたちが神の子 鬼の子であるかぎり神頼みとされていたすべてのかみさまの能力はもともとさずかっているのである。こんじんさまは善なる存在であり、正義であり、あらゆる悪 不幸とは無縁の存在である。なぜにいまわたしは不完全、やまいにまようのかそれは神の子であるがゆえに自覚なき日常をすごしてはいないか?すべてを隠していないか、罪をおかしてもごまかしていないか。すべてをみられていることをきづくべき、偽善者の罪は重い。悔い改めはうまれかわりの作業なり、神は再び神の子に流れいる、そして祈り合わせの秘儀により、自らの生きる目的を日ごろに日常に祈念して 目的のために体をうごかし、前に進め 神がからだに流れ込んでいることを自覚して 病の悪神を退治せよ。なぜその力はあなたにあるのか?祈り合わせは集団力 神通力のかたまりなり、皆で神のみこしをかつぎだせ、ひとりのちからをぬいたのではみこしはかたむき神は不敬をむくいとする。こころして祈り合わせで神をみこしにまつりだせ、これうたがうことなかれ。四月十日の早朝は神の恩寵に満たされたり 拝

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